昨日の日曜洋画劇場、13人の刺客のプロモーションビデオが流れましたね。
迫力のある映像で9月の公開が楽しみになりました。
 
映画は弘化元年(1844年)3月の事件からはじまります。
緒方 洪庵は34才、1年後適塾を現在の大阪市中央区北浜に移します。
 
12代将軍家慶の時代、ペリー、黒船来航の9年前になります。
明石藩主で将軍の弟は松平 斉宣(1825-1844)です。
強引な藩主就任、将軍の子息であるが故に莫大な支出、明石藩の財政難にますます
拍車をかけて評判の悪い藩主だったようです。
天保15年(1844年)病気で亡くなっています。
 
尾張領で参勤交代のおり、3才の幼児が行列を横切った為、斉宣は切捨御免で幼児を殺害してしまい、
この処置に激怒した尾張藩が領内の通行を断ったため、明石藩は行列を立てず農民や町民に変装して
通行したという。
幼児の父親である猟師が鉄砲で斉宣を射殺こしたという記述もあるとか。。。
これらのエピソードが13人の刺客という作品につながっていったんですね。